(株) ヒグチ設計

中野駅ブリッジ計画

かつて中野は武蔵野の中心だった。
明治22年、中央線(甲武鉄道)新宿~立川間の開設と共に、中野駅が現在より西側の位置に作られた。
昭和4年関東大震災による下町からの人口の急増に伴い、中野通りを掘り下げその上に中野駅を移設して、現在に至っている。しかし、南北をつなぐガード下は、谷間のため薄暗く、排気ガスで汚染され、しかも南北の交通は分断され、とても「中野の顔」とは言い難い。
そこで、我々は駅前広場リニューアル計画の新たな提案を行いたい。

コンセプト
1 公共地とJR管理地を前提にし、私有地には影響が
少ないプランニングであること。
2 駅を挟んだ東西南北の交流を活性化させる。
3 構造体はアーチの三層構造とし「中野の顔」とし
て市民に親しまれる美しくてシンボリックなデザイン。
4 弱者、高齢者、身障者に優しい構造物を考慮する。
(スロープ、エスカレーター、エレベーターの積極的利用)
5 JR等管理運営がスムースに行えること。

具体的提案
●北口第1広場(サンプラザ側)北口第2広場(サンモール側)南口広場(現駅ビル側)3点に3層のアーチ構造フレームを掛け、下部構造はプラットフォームに橋脚を構築する。
●駅舎は最上階プラットフォーム上に設置、改札・切符売場など地上3階に位置する。駅舎両わきは5m幅の南北自由通路ができる。
●ペデストリアンデッキはメインアーチにからめて東西南北の歩行者広場ができる。サンプラザ、駅、サンモール側が有機的一体として機能する。
●階上形式でバス、タクシー、自家用車、駐車場、駐輪場のアクセスがスムースになる。
●既存駅舎の1階部分は店舗として積極的に利用し、東西自由歩行通路の排気ガスの充満を解消できる。

~2004~
・『生活文化都市』  「職」「住」「遊」「学」の近接一体の自立した都市を目指す
・『コンパクト』  中野駅周辺に高層複合施設をまとめ、緑化をはかる
・「中野文化大学」の設立  高齢者が若者に人生を教え、ITを教わる
・「木造密集地」を減らす  道路斜線・容積率を緩和し道路を広げ、
不燃化を促進する
・『スローライフ』  スピードや騒音規制を行い、ゆったり歩ける道づくり

~2010~
「どうするサンプラザ!」
巨大な白の三角が中野駅前に出現してから40年が経つ。
当時、私は建築の夢を見ていた学生で、100近くの機能を持つ複合建築は
多くのドラマを生み出した。
これから5~10年後、駅周辺は巨大な再開発にのみこまれていく。
青春のシンボルであったサンプラザは一体どこに行くのか…?
最期まで見守りたいものである。

薬師ウェーブ通りに向けて
今から20年前、新旧のバランスを織り込み、躍動感あふれる『ウェーブ』をモチーフにしたデザイン。 門前町の参道としての入口に位置し、鳥居のような平面的なアーチが一般的に形骸化する傾向があるが、双曲放物線の局面で構成された立体的なアーチとなった。 光の変化によって24時間表情を変え、絶え間なく人々が吸い込まれるようなサイン効果を狙った。