樋口修 語り継ぐVISION

自己紹介

「建築家」と言う言葉を聞いたのは確か中学2年の頃である。 高校まで岡山県高梁市の城下町で育った私にとって、美しく心地よいそして耳慣れない響きだった。 アサヒグラフで若き建築家、鈴木洵氏の設計による日活スターの宍戸錠邸を見た時の事で、今では安藤忠雄作品等で珍しくなくなったコンクリート打ち放しの上から光を取り入れたトップライトの家だった。こんな家今まで見たこともなかったし、ましてこの町には存在する由もなかった。 感性豊かな少年にとって建築家という職業が衝撃的で、 ただ「カッコイイ!」と思った。これが建築を志した動機である。 

大学に入ってから住宅作家を志した私は、背伸びしない自分の身の丈にあった家を探そうと思っていた。 そこで辿り着いたのが「池辺陽の工業化住宅」で住宅を工芸的な芸術作品としてではなく、生活デザインとして現代の技術によって量産化された、性能の良い材料をバランス良く構成してローコスト化を追求する。35年前独立以降「重量鉄骨ALC住宅」が私自身のライフワークとなりました。